最近は「不動産バブル、そろそろ価格が下落する」という声も聞かれるが、不動産バブルとは?

最近不動産バブルという言葉を良く耳にします。例えば「昨今の不動産バブルも終わりを告げ、そろそろ不動産価格が下落するか?」などのニュースが報道されています。そもそも「不動産バブル」とは何の事を言っているのでしょうか?今回は過去に起こった不動産バブルを振り返りつつ、今言われている「不動産バブルとは何か?」をお話します。

バブル経済の定義

そもそもバブルとは何でしょうか?どういう状況の事を言うでのでしょうか?
一言でバブル経済を言い表すと「実態より極端に過熱した経済状態」という言い方が一番分かり易いと思います。例えば、後述します「最初のバブル」と言われる時には東京都の地下は極端に上がり、東京都23区全体の地価とアメリカ全土の地価が同程度まで高騰しました。普通に考えれば、どう考えておかしい状況ですよね?
このように極端に過熱した経済状況を指して「バブル経済」と言い、それが崩壊した時に「バブルが弾けた(崩壊した)」という表現をします。

最初のバブル

最初のバブル
日本では「バブルが弾けた」という言葉を良く聞きます。一般的に日本で言うバブル期は1980年代から1990年代前半に起こったバブル期の事を指しています。更に昔を遡れば「バブル」と呼ばれている時代は数多くありますが、現在一般的に使われるバブル経済の最初はこの時期の事です。

その頃のアメリカの景気は?

戦後日本は高度経済成長を続け、1980年代の初めにはついに世界最大の貿易黒字国になりました。前項のように当時の日本は好景気の真っただ中でしたが、アメリカでは貿易赤字と軍事費の多大な赤字により財政は火の車状態でした。そこで、アメリカはまず貿易赤字を減らすためにドル安へと誘導することにしました。ドル安になればアメリカのモノが他国からすると「安く」見え、アメリカ側の輸出が増えるからです。

そのドル安への誘導を各主要国に要請し、各国がこれに合意した会合を「プラザ合意」と言います。具体的に日本では日銀が持っている大量のドルを売り円を買いました。2016年現在行っている日銀の為替介入とは逆(今は過度な円高を防ぐため一定のラインを越えたら円を売り円高を防ぐ政策をとっている)の事をしたのです。

プラザ合意後は?

プラザ合意によりドル安円高の流れは進み、プラザ合意前は1ドル240円程度であった為替が、2年後には1ドル120円程度まで円高になったのです。これにより、アメリカの貿易赤字も徐々に回復してきました。しかし、一方で日本の輸出が伸びず輸出産業は大打撃を受け日本経済の景気は悪化していったのです。これが俗にいう「円高不況」と呼ばれる現象です。

日本が実施した対策、アメリカの変化

円高不況に陥った日本では日銀は公定歩合を引き下げました。今でいう「ゼロ金利政策」や「マイナス金利政策」と同じ目的で、世の中のお金の周りを良くすることを目的としています。
しかし、一方でドル安誘導をしすぎたアメリカでは輸出企業は好調でしたが、当然輸入企業の業績は悪化します。更に、ドル安によるインフレの懸念も膨らんできている状態でした。何故なら、アメリカが外国から原料や部品を輸入し、加工して(もしくはそのまま)アメリカ国内で販売を行うため、ドル安ですと輸入品が高くなります。それ故、高く仕入れたモノを売る時には物価を上げざるを得ないので、どうしてもインフレになってしまうのです。

そこでアメリカはドル安政策をやめることにしました。これが1987年2月に行われたG7での「ルーブル合意」と呼ばれるものです。ドル安を止めるために実施した施策は「アメリカの金利を上げる事」です。アメリカで金利が上がれば債券や預金金利が上がるので、ドルを欲しがる(ドルで資産運用を行うため)人が増えるのでドル高に繋がるからです。
更にアメリカは自国の金利を上げるだけでなく、他国との金利差をもっとつけるために他国へ金利を下げる事を求めました。日本では既に金利を下げていましたが、更に金利を下げる事にしました。結果的に、プラザ合意前までは5%だった日本の公定歩合はルーブル合意後に2.5%まで下がりました。

ルーブル合意。日本の裏側

この頃の日本はプラザ合意で発生した円高不況からようやく抜け出し、景気は回復方向にありました。円高不況になったため、公定歩合を下げてお金を世の中に回すような政策をとっていた日本は、徐々に景気が回復するのをみて、実は公定歩合を戻そう(上げよう)としていたところでした。しかし、ルーブル合意でアメリカに協調せざるを得なくなったので政策を180度変え、公定歩合の引き下げに踏み切ったのです。

バブル経済へ突入

そしてついにバブル経済へと突入します。ルーブル合意により公定歩合を引き下げ世の中にはお金が大量に回ります。更に、円高不要から抜けきっていなかったため、景気の下支え対策としていた大規模な公共投資は継続していたので、更にお金が世の中に出回ります。つまり、日本経済は想定以上に多くのお金が世の中に出回ってしまったという事です。

景気が回復している中では通常は金利を上げ金融政策を引き締めなければいけませんが、ルーブル合意により逆の政策をとったため、過度にお金が出回り、内需拡大、消費が拡大したのです。しかし、この時点では過度なインフレは起こりませんでした。何故なら円高による影響で輸入品を安く買えたので、消費が上がっているものの物価上昇は緩やかでした。

株、不動産神話

この頃の日本では株、不動産神話という言葉がありました。株はどの銘柄も上昇し、不動産もどの場所でも価値が上がっていたのです。株、不動産を買えば儲かる時代だったのです。
株や不動産以外にもゴルフの会員権や絵画、ブランド品なども含めて円高により抑えられいたインフレも(過度のインフレを指す「ハイパーインフレ」とも呼ばれていました)止められなくなってしましました。モノを買えばそのモノの価格が上がるので、買いが買いを呼んで歯止めが効かなくなるほどモノの値段が実体経済を飛び越えて上がっていったのです。
株価もプラザ合意の前は1万円くらいだった日経平均株価は、1989年12月4万円近くまで上昇しました。

バブル崩壊

しかし、ご覧のように実態経済とはかけ離れた過度なインフレはいずれ崩壊します。過熱したインフレを抑えるために日本政府は2つの政策を実施します。結果的にこの2つの政策がバブル崩壊の引き金になりました。

①不動産投資の総量規制
不動産投資の総量規制は過度な不動産取引を抑制するために施策です。1990年3月末に出されたもので、具体的には全国の金融機関に対して「四半期ごとの不動産業界向けの融資残高を、貸出残高全体以下の伸び率に抑えること」を義務付けたのです。簡単に言うと「不動産投資にあまり融資をするな」というメッセージを送ったのです。これにより不動産を買う人が極端に減ります。買う人が減れば当然不動産価格は下がります。今までの過熱感が尋常でなかったが故にこの規制によって不動産価格は暴落してしまうのです。
これが不動産バブルの崩壊の直接の引き金になりました。

②公定歩合の引き上げ
前項①にも繋がる事がありますが、公定歩合の引き上げは、過度なインフレを抑えるために世の中に出回るお金を減らす事を目的としています。これにより様々な投資が減少し、公定歩合の引き上げによる円高の影響で輸出企業の業績悪化懸念により株や不動産が売られ暴落しました。
これも不動産バブル崩壊の原因の一つです。

このようにアメリカの円安誘導を目的としたプラザ合意から、インフレ抑制の不動産総量規制・公定歩合の引き上げまでが一連のバブル経済崩壊までの道筋です。

ファンドバブル

ヘッジファンド
前項の「最初のバブル」程ではありませんが2000年代にもファンドバブルと呼ばれる不動産のミニバブルがありました。

金融機関が保有する不良債権

2000年代初頭になると前項のバブル崩壊の傷も癒え、金融機関が抱える不良債権処理も一斉に進んでいきました。日本の金融機関は大量に保有する不良債権を、お金に換えどんどん処分するよう売却先を探していたのです。

背景には、金融機関の不良債権処理が進まない事には、金融機関は融資のハードルを下げる事ができません。融資のハードルを下げないとお金が世の中に出回らないので、賃金が上がらずデフレからも脱却できないからため、国としても社会の声としても金融機関は不良債権処理を早める必要がありました。

ハゲタカファンド

金融機関が抱える不良債権の売却先としては主に外国のファンドが挙げられます。このファンドは日本の不良債権をバルク買いと呼ばれる手法で買っていました。バルク買いとは複数の不良債権をセットにしてまとめて買う代わりに安く購入する手法の事です。

前項でも申し上げたように金融機関は不良債権の処理を早急に進める必要があったため、値段よりもスピードを優先させました。外国のファンドからすれば、不良債権とは言え低価格で購入する事が出来る日本の不良債権バルクセールは宝の山だったでしょう。

この頃のアメリカ経済は減速していたため、投資先のない海外マネー(特にアメリカ)が日本に大量に流れ込みました。その結果、これらのバルクセールで日本に多額の投資をしたファンドはハゲタカファンドと言われていました。

ハゲタカファンドの売却先

ハゲタカファンドも購入した不良債権を全て自社で保有するわけにも行かず、その先の売却先を選定していました。バルクで購入しているので、本来ファンドが保有しないような小型のアパートや1棟マンションなども含まれていたため、ファンドはこれらを個人投資家へ売却していったのです。
不動産専門の業者やサラリーマン投資家などがこれらを購入し、不動産投資が日本では流行していきました。ファンドは金融機関から安く物件を購入しているので、個人投資家も安く物件を仕入れることが出来、この頃に投資をした物件は利回りの高い「優良物件」が多かったのです。それ故「不動産投資ブーム」が起っていきました。

日本の金融機関

やがて不良債権を処理した日本の金融機関は、新規の融資を積極的に行うようになってきました。しかし、まだ日本の景気は回復しきれていなかったので、企業も積極的な設備投資を行っていなく、金融機関も融資先を探している状態でした。その時に白羽の矢が立ったのが不動産投資です。金融機関は不動産投資をする個人投資家や不動産業者の背中を押し、より一層不動産投資は積極的に行われるようになりました。当然、買い手が多くなってくるので不動産価格は上昇していきます。

ファンドバブルの崩壊

しかし、初期のバブルと同様、ファンドバブルも崩壊を迎えます。キッカケとなったのは「サブプライム問題」と「リーマンショック」です。

「サブプライム問題」とはアメリカで行っている低所得者向けの住宅ローンです。このローンの担保債権を証券化し、金融機関は様々な金融商品に組み込み保有していました。しかし、サブプライムローンに大量の債務履行(焦げ付き)が生じ、アメリカの多くの金融機関が倒産に追い込まれました。その中でも大規模な投資銀行であるリーマンブラザーズが破たんしてしまったので、サブプライム問題に端を発するこれらの現象を「リーマンショック」と呼びます。

これにより日本に投資していたアメリカのファンドは日本への投資を引き上げざるを得なくなりました。日本の不動産に投資をするお金が減少しましたので、過熱していたファンドバブルも崩壊を迎え、不動産価格も下がっていったのです。

このように初期のバブル経済の崩壊と同じように、不動産が過熱し、あるキッカケで下落をしてしまいました。その大きな原因にファンドが絡んでいるためこのバブルをファンドバブルと呼びます。

最近の不動産バブル

株価昨今でも新たに「不動産バブル」が到来しています。アベノミクスによる経済成長により新築マンションの価格上昇やオフィス賃貸の空室率下落など、ここ数年の不動産市況は明るいニュースが多かったです。更にオリンピックも決まりウォーターフロント(晴海エリアや豊洲エリア)と言われる湾岸エリアの不動産価格も上昇している事実があります。しかし、2016年に入り、新築マンションの契約率が好不調の境目である70%を切ったり、オフィスの空室率も上がってきりという悪い現象も起こっています。

そのためアベノミクス、東京オリンピックの影響で上がった不動産価格がそろそろ下落に転じるか?という意味で「不動産バブル、そろそろ価格が下落する」という声が少しずつ聞こえるのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか。初期のバブルやファンドバブルは目に見えて過熱感がありました。しかし、現在は当時と比べると公示地価の上昇幅も大きくないですし、住宅の上昇も他のバブルと比較をすると小さいです。今の不動産市況がバブルと呼ばれるかどうかは、今後の上昇率と下落率次第です。過熱感が強く、実体経済とかけ離れた現象になることをバブル崩壊と呼びますので、不動産市況が過熱したとしても、私達の賃金が上がり、インフレが進めばバブル崩壊とはなりません。
つまり、不動産バブルが崩壊するか(そもそも不動産バブルかどうか)は今後の日本の景気次第ということになります。

- 2016年05月05日